妄想エクスポウジア

世界の未来を妄想する

この光の痕跡の未来を妄想する

 スチルじゃなくてムービーカメラの話題が多くなってきましたね。4Kの夜明け前って感じで盛り上がってる感満載ですねー\(^o^)/

 さて、かつてフィルムの時代でも静止画から動画へ技術が進み、熟れて行くにつれてプロ以外の人も手軽に使えるようになっていったわけですが、デジタルの撮像素子を使ったカメラの技術が行き着くとことまで行っちゃったらその後どうなるんでしょうか?というよりもそもそもこの光・視覚の記録に人々は何を求めていて、その究極は何なんでしょうか?

 動画静画ともにそもそもの本質は「記録」でしょう。すぐに消えて、記憶からもそのうち消えてしまうものを、人生を、歴史を鮮明に残したいという欲求が根本にあるのでしょう。太古の洞窟の壁画も残っているように、人類が時間の概念を手に入れてからずっとこのはかなく消えゆく存在の欠片でも残しておきたいと思ってきたのでは無いでしょうか?

 もう一つの本質は、おそらくこちらが先でしょうが、「交流」コミュニケーションということになるでしょう。元々は記号だったものが文字になり、複雑な意味を持つようになります。それを残した者はあとでそれを見ることになる者に何かを伝えようとして残しています。さらにそれは複雑になり、他人に何かを伝える絵になり画になっていきました。画を観る者に何かを訴えかけたり、特別な宗教上の教えや意味を絵画で伝えたり、その本質は写真へと受け継がれて芸術や記録の作品になり、フィルムカメラが普及していった頃には家族の写真を囲んで思い出話に花を咲かせたり、現代ではSNSやブログなどで誰でも使える交流の道具へと変わっていったと言えます。

 さて、この先、プロカメラマンしか扱えなかったものが誰しもカンタンに写真を残せる道具になっていったのですから、カムコーダもその方向に進んでいくでしょう。ネットワークなどインフラの発達も前提ですが、数年後には一日に何万、何億という動画が世界中に溢れていくことになると思います。Google先生あたりが既に研究されていると思いますが、動画の内容を自動的に解析して検索をしたりできるようになるでしょう。

 さらに先、数分の短い動画ではなく、数時間、数日といった長い時間(もしくはそれを圧縮したもの)の記録ーライフログとか言われていますがーを残して他人の経験を疑似体験できるような、記録・交流から「体験」への変化、それには人間への提供方法も関係してくるでしょう。VRや、SFの世界ですが、脳への直接のインタフェースなどもこの先数十年の間に出てくるでしょう。そうなれば光の痕跡だけでなく、写真に動きと音が加わったように、臭い、温度、感情などの痕跡も追体験できるようになるでしょう。なんなら一生が他の誰かの人生の追体験だけで終わってしまうかも知れません。(個人的にはライフログからその人の人格を逆に形成するという試みに心惹かれます、その人の人格が生き続けるということになりますから、まあ本人そのものではないのですが...)

 この先、人類は誰かの生きた痕跡をさらに簡単に残すことができるようになるでしょう、すべてのそれに価値があるかは疑問ですがw でも逆に生きている時の苦しさ窮屈さは増えそうな気もしますね...消えるときは何も残さずきれいさっぱりと消えたいと望む人もたくさんいらっしゃると思いますが、みなさんはいかがでしょうか?

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